【究極の結末は?・・・・】 達成感と虚しさが入り混じる

  2010年も残りわずかになり、ふと想い出すとソンヒが去って既に2年が経ちました。今思えば自分でも信じられない人生、これを「夢」と思うか「過去の事」と思うのか自分の中でもどう表現したらよいのか?何だか不思議な気持ちで、達成感と虚しさが入り混じります。2005年から2回の帰国を跨り3年一緒に生活していたのですから、単に過去の事だけでは片付けられないけど、今となっては夢物語と語るのが正解なのかもしれませんね。

最初は1度だけでも日本に来て欲しいから始まり、少しの間でも一緒に暮らしたいに欲望が膨らみ、最後は結婚まで真剣に考えた訳です。そう考えると、これで良い!これで満足!などと思える生き物ではないんですね人間って。欲望は恐ろしい。唯一ソンヒの置き土産として訪韓漬けの日々からは抜けられたのは感謝してます。そう考えるとある意味達成感を持てたのかもしれませんね。いいえそう言いたいです!あの北の聖地ヨンジュのアガシ、しかもNO1アガシを3年も独り占めにしたのだから、自分を称えましょう。^^;アッハッハ♪

因みに2004年以前のヨンジュを体験した方は北の聖地の表現がお分かりになるでしょうが、ここ最近のヨンジュしか知らない方には、北の聖地???クレッションかも知れませんね!あ~あの頃は本当に凄かった。現地でオフ会なんて事もありましたね~○○さん××さん△△さん^^最近では8月に行きましたが一時の衰退から比べると少し活気が戻ってました。ただ全盛期の1/3程度ですけど!さすがに顔見知りのアガシは一人もいませんでした。馴染みのママさんは健在でしたが!あの怪しい日本語堪能な用心棒の姿も見ません。もう北の聖地と言うより、単なる地方の置屋になってしまったのが残念で仕方ありません。

さて話を戻しますが、私はソンヒを日本に招き日本語学校に1年半留学させ、その間日本語検定1級TOEIC2級を取得させました。その後アナウンサーが多く卒業している有名なお嬢様大学、聖○女子大学に入学までさせましたよ。大学の先生とは、保護者?として1度面会した事もあります。私は大卒では無いので、先生と面会した時、変に緊張しました。(汗)

もうこの頃になるとソンヒは日本に来た当時とは別人の様になっていまして、私もソンヒを一人の女性としてだけでは無く、父親?みたいな情も持ちました。まあ夜になればそんな情はどこかへ消えてしまっていましたが・・・

私の家から大学は少し距離が離れてましたので、ソンヒは大学近くの外国人専用のゲストハウスに移りました。私もこの様なゲストハウスを始めて知ったのですが、かなりインターナショナルです。韓国、中国、シンガポール、ドイツ、イギリス、カナダと様々な国の人が生活していました。さすがに外国人専用とあって、日本人は居ませんね。ここは男女区別ありません。もちろん部屋は個室ですが、キッチン、シャワールームは共有です。なので時にキッチンで外人さんと顔を合わせる事はありましたが、基本的にどの国の人も会話は全て英語でした。1度ドイツ人とカナダ人とシンガポール人とソンヒと私でホカ弁を一緒に食べた事がありました。何だか奇妙な光景でした。

ソンヒが一時帰国する際、久しぶりに韓国に行こ~と思い同行しました。ソンヒの故郷は大邱なのですが、大邱は内陸部で微妙な位置ですね。どちらかと言えば釜山からの方が近いですが、フライト本数は圧倒的にソウルの方が多いので、やはりソウル経由になります。今はKTXが走ってるので東大邱まで1時間半。昔に比べれば不便さは無くなりました。

訪韓前、大邱スタジアムで東アジア選手権が開催されていていたのは知っていたので、決勝戦に日程を合わせました。間違いなく決勝は日韓戦になると予想して、訪韓前にJAPANNブルーTシャツ買って準備OK。予想通り決勝は日韓戦に。お~日本、日本、日本、ヘイヘイヘイ♪いざ大邱スタジアムへ!

大邱スタジアムに着いて驚きました、うお~日本人がこんなに!ミョンドンならまだしも、大邱にこれ程日本人が居る事はそうは無い事でしょう。スタジアムの外でも凄い響き、テ~ハミング、テ~ハミングです。うむこれは熱くなりそう^^;

さてここで問題(汗)考えてみたらソンヒは韓国人。しかもテ~ハミングの響きに刺激されたか、ななななな~何とレッドデビル席に行きたいと言いだした。おいおいこっちはJAPANブルーだぞ(冷汗)

とりあえずレッドデビル席はチケットが取れずホット一息。それでもソンヒは無情にも限りなくレッドデビル席に近い場所に拘りチケットを購入。テ~ハミングのもの凄い響きとレッド一色の中に、JAPANブルーの勇者が一人。まさしく針のむしろ!この言葉がこれ程当てはまる場所に居る自分が誇らしい。しかも中沢が後半終了間際ネットを揺らし1-0で日本が勝利したのでした。ゴールの瞬間思わずこぶしを振り上げ(オ~)と声を出して喜んでしまった。(冷汗)今では笑い話ですが、考えるだけで恐ろしい状況だった事は確かでしょう。^^;何も起こりませんでしたけど!

在学中ソンヒは生活費の一部を自分で稼ぐ為、五反田の韓国人クラブでバイトもしました。この時期はお店の寮(マンション)に生活場所を移しました。五反田はビジネスマン相手の仕事でしたので、日曜祝日は休みでした。従って平日はお店の寮、週末は私の家に戻る二重生活をしてました。今でも五反田近辺に行くとこの頃の事を懐かしく想い出します。(涙)

お店が終わると私の家に戻る前良く韓国料理を食べました。日本だから仕方ないとは思いますが、韓国価格の2倍ですね。お客も殆ど韓国人でしたけど、韓国人も日本だからと思って割り切っていたのでしょうね!きっと。

終期には恵比寿のマンションに引っ越しました。大学まで徒歩でも通学出来る距離です。思えばこの恵比寿での生活が終わりを告げる切っ掛けとなりました。いろいろ複雑に絡み合う状況なので一言で説明出来ませんが、ソンヒは心の病に掛かり帰国しました。帰国して暫くして、2008年のリーマンショックを迎えました。

もちろん私もリーマンショックは直撃を受けましたよ。もしソンヒが帰国せずに居たらと思うと、私は一体どうしていたんだろう?今考えれば、引き際としては絶妙なタイミングだったのでしょうね。

帰国してからも3度会いに行きましたけど、私もこれ以上深追いは厳しい状況でしたし、ソンヒも韓国で日本語語学を活かして就職出来ました。これを見届けてと言うのか、本当に終止符の時が来たと実感しました。きっとソンヒにとって私は重たい存在になっているのだろうと悟り、それ以後会いに行く事は控えました。現在は連絡もしていません。

久しぶりの体験談でしたが、皆さんはどう感じ取られましたか?今でも韓国どっぷりの方沢山いるでしょうね。私は年に1~2度の訪韓です。もう情報を収集できる立場ではありませんね!なので情報と言うより、プログだと思って時々更新しま~す^^/~


                               by イルボンサラム


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